ファッションのこと、暮しのこと

40代からでも似合うプチプラファッションや、暮らしのことを綴っていきます

MENU

【49歳の断捨離記録】20年眠っていた着物の喪服を処分しました

20年に渡り長期保管してきた”喪服”を手放すことができたきっかけ

私達アラフィフ世代の方々はひょっとしたら同じ境遇かもしれません。

 

お嫁に行くときには礼服を一式あつらえる

 

ここで言う礼服は和服のことで、慶事の時に着る黒留め袖、弔辞の時に着る黒紋付着物いわゆる喪服である。



私の母自身は着物を全く着なかったが、買うのは嫌いではなかったようで、私に振り袖と訪問着、そしてお嫁に行く時に喪服をあつらえてくれた。

 

昔の人は”レンタルする”という文化のない中で育っているので、頭の中にその選択肢はないらしい。

 

49年生きてきて、成人式も含め振り袖は3回くらい着たかな・・。金融機関に勤めていたので年明けの初出勤の時には振り袖を着るという文化があり、ご多分に漏れず私も一度着て出勤した。

 

訪問着は結構着た。というか意識して着るようにした。兄や友人の結婚式で3~4度、子どもの七五三でも数回・・。うん。こちらは元をとっている。

 

さて、今まで一度も袖を通していない着物・・それは”喪服”です。

 

これはある意味幸せなことでもある。自分の近しい家族がまだ元気であるという証拠。

 

そもそも人生を通して着る回数が少ない上、着るかどうかも分からない。そして保管しておくのも場所を取るし、草履や帯枕などの小物も普通の着物のと違うから全部揃えて保管しておかなければならない。

 

いっそうのこと処分したい!という気持ちはずっとあったが、親がお金を出して買っているのでなかなか難しい。

処分したことが分かれば私は半殺しの目に遭うのは分かっていた。

 

ならどうして私がこうして「処分しました」と言えたのか。

 

それは母が認知症になったから。

 

母より先に父が他界するようなことがもしあったなら私は黒紋付着物を着ていくつもりで保管していた。もし洋装で行ってしまったら絶対に怒られると思っていたから。

 

ところが、人生とは本当に何が起こるか分からない。父はおかげさまで元気で母が認知症になってしまったから、もう喪服がどうのこうのと言っている場合ではなくなったのだ。

 

”家紋”の入った喪服を買い取ってもらえるのか?

さて、前置きが随分と長くなってしまったが、家紋の入っている喪服。

買い取ってもらうのは不可能かもしれない。せめて持ち帰ってさえしてくれればありがたい。

と藁をもすがる気持ちで着物の買い取りで有名なバイセルへ電話して査定の予約をした。

GWだったこともあり、査定士の方が来ていただけるのに2週間ほど要したが、直前に日日時の最終確認の電話もあり安心した。

当日来てただいた査定士の方は爽やかな若い男性。こんなご時世、他人を家に入れるのに抵抗もあったが、そんな心配はご無用なほど丁寧な立ち振る舞いであった。

 

さて、今回査定していただいたのは黒紋付き着物と振り袖、浴衣の3点。

黒紋付き着物だけでは査定は難しいと事前に調べておいたので抱き合わせで2点用意した。

訪問着だけは着る機会があるかも知れないし、ゆくゆくは娘に譲るとも考えていたし、母が買ってくれた物を全て処分するのは避けたかった。

 

正直査定は難しいようで、抱き合わせで用意した振り袖も流行とはかけ離れていたが、お涙頂戴でなんとか引き取ってくれた。

夕食の足しにもならないほどの値段だったが、私としては満足だった。

自分で処分することを考えただけでも相当なストレス。

持って帰ってくれただけでも大満足である。

 

 

さて、バイセルの査定士さんに何度も聞かれたのが我が家に他の不要品はないかとの事。

ブランドバッグや時計、その他貴金属など。

残念ながら、数年前に大体の物を処分してしまったので今回は出せる物がなかった。

 

恐らく「着物」の買い取りはボランティアのようなもので伺った先で何か高額買い取りできそうな物を探し出すのが目的なのかな。

お宝が全く無かった我が家であったが、だからといって対応が変るなどはなく終始丁寧に対応していただいた。

 

私の心にずっと重くのしかかっていた重荷をスッと外してくれたバイセルさん。

本当に心から感謝している。

 

モノを手放すって本当に軽やかになれるもんだなぁ。

 

 

 

 

市川猿之助さんのファンとして思うこと

まるで何かの小説を読んでいるかのような事件に心を痛めている方も多いのでは。

私が歌舞伎を初めて観劇したのは今から10数年前。

 

きらびやかな「博多座」に初めて入った時の感動は今でも忘れられない。

初めての博多座で初めての歌舞伎。

演目はこちら「蜘蛛の絲直噺(くものいとおよづめばなし)」。

市川亀治郎(当時)のもはやお家芸とも言える一人五役の早変わりが圧巻で演目が終わった後にもまだ気持ちが高ぶっていた。

 

「凄い物を見た」と。

 

それからも何度か劇場に足を運び「歌舞伎」を楽しんだ。

 

私に歌舞伎の楽しさを教えてくれたのは紛れもなく市川猿之助さんである。

 

熊本の山鹿市にある「八千代座」にも行った。

 

八千代座と言えば国の指定重要文化財にもなっている芝居小屋。木造2階建ての建物に枡席、桟敷席、廻り舞台やスッポンなど江戸時代の歌舞伎劇場の作りがそのまま存在している貴重な劇場。

 

入ってすぐ目に飛び込んでくる天井広告の美しさにうっとり。

 

こちらの2階席より観劇した。博多座より舞台が随分近いので役者と観客との一体感が凄い。

八千代座内部の2つの写真は見学会の時に撮影したものです

 

まさか八千代座で歌舞伎を見ることができるなんて・・

 

きっと猿之助さんとの出会いがなかったら叶わなかっただろう。

 

歌舞伎などの観劇がお好きで理解のある義両親がまだ小さかった2人の子どもを見てくれたので主人と一緒に行く事ができた。

改めて見てみると2014年。随分と時が経ったがあのときの感動は今でも鮮明に心に残っている。

 

彼の書籍も読んだ。

とにかく「歌舞伎」というものに心が奪われているかのように歌舞伎を愛し、大切にし、歌舞伎役者が天職だとご自身でも言われるほどに真っ直ぐであることが手に取るように分かった。

そんなに誇りをもっているんだな。

一ファンとしては嬉しかった。

 

だから今回の事件には納得出来ないことが多々ある。

 

あれだけ歌舞伎に真っ直ぐだった人がどうして・・・。

 

書籍を読むに連れ、分かった事がある。

私とは住む世界も、考えも、責任も、重圧も、これまで生きてきた日常も、これからの未来も何もかもが違うということ。

だからきっとこの事件に関して私がどう思おうが語るに足らず。

私の想像を遙かに超えた感情でそうなさったのであろう。

 

そして何よりも大切であった歌舞伎よりもさらに大切なものがあって、それを命をかけて守りたかったのだろう。

 

歌舞伎役者としての彼をもう見る事が出来なくなるのかな。

 

本当に何か未だに小説を読んでいるかのごとく現実が受け入れられないままである。

 

 

幸せな老後

先月、義理の母の傘寿の祝いを近所の料亭で行なった。

 

旬の食材で丁寧に作られた会席料理がどれも美味しくて箸が進む。

2月にも法要がありこうして皆で集まったばかり。

義理の家族、親戚は月に一度くらいは集まっている。

 

義理の両親は長女夫婦と同居。80を超えても足腰もそこまで悪くなく、頭も冴えていて何より幸せそうだ。

次女夫婦と孫もしょっちゅう顔を出していて、「寂しい」どころかいつも孫の世話で忙しくされている。

 

義理の両親に触れる度に自分の両親の事を思う。

「私の母も傘寿の祝いをしてあげたかった」

 

孫の誕生会、運動会、七五三、クリスマス会、これまで集まってきたイベント事は挙げればきりが無い。どれも義理の両親とその家族と過ごしている。

遠くに住んでいるから仕方ないとは言え、私は自分の両親とこうしたイベントを一緒に過ごせなかったことを心から申し訳ないと思っている。

 

私の母は肝臓を患って約50年。結婚してからは舅との折り合いが悪い中で同居を余儀なくされ相当なストレスだったと思う。

大っ嫌いな人と何十年も一緒に暮らすということがどれだけ大変なことか想像しただけでもぞっとしてしまう。

 

私も結婚して遠くへ行ってしまい、兄嫁も実家に寄りつかない。

苦労ばかりさせてしまった。

 

何とか孫の顔を見せてあげたく、夏休みなどの長期の休みの時はなるべく帰省した。

その甲斐あってか、70代の半ばくらいまでは穏やかに過ごしていたと思う。

 

しかし、70代後半から認知症がはじまり、毎日のように言葉による他人はおろか家族への攻撃が始まった。

 

認知症の症状もどんどん進み、食事を拒否し、ついに胃瘻をすることとなり入院。

会いたくても病院側のルールで(コロナ禍のため)会えず、もう私のことも忘れてしまったかも知れないと思うと怖い。

 

80代近くになってから幸せな老後とそうでない老後とこんなにも差が開いてしまうんだな。と悔しいが思わざるを得ない。

 

 

私は幸せな老後を過ごしたい。それにはまず他力本願は捨てること。頼りになる大人になること。一人でも楽しめる人生の軸を持こと。いつまでも強い足腰を持ち続けること。なかなか難しいが80歳までにはまだ30年ある。この時間をどう過ごすかが幸せな老後を送れるかどうかの鍵になる。

 

 

ABCクッキングに長年通った私の感想

2017年より通い始めたABCクッキング。

ついに2023年の3月で契約終了となった。

 

中学生の時にお菓子作りに興味を抱き、レシピ集を読んでは思いを馳せていた。

 

最初に作ったのはクレープだったかな、レシピ集の初級編の一番始めに載っていたのがそれ。

80年代当時は我が家にはまだ電子レンジは無く、お菓子を作りたいから親におねだりして電子レンジを買ってもらった時は天にも昇るほど嬉しかった。

 

 

 

それからクッキーやブラウニー、スポンジケーキなどいろいろなお菓子に挑戦した。

中でもシュークリームは大失敗に終わり、材料を全てダメにしてしまったことは今でも心に引っかかっている。

 

そんな私だったが、高校生になり部活や勉強で忙しくなり次第にお菓子作りから遠ざかっていった。

 

一人暮らしをしていた18歳からの10年間は一度もお菓子をつくったことはないかもしれない。それほど離れていたお菓子作りを再び始めたのは子どもが生まれてから。

 

バースデーケーキを作りたい!と娘の一歳の誕生日に久しぶりにケーキを作った。

 

それからいろいろなものを作りたくなり、同時にパン作りにも興味を抱き、息子が生まれた時にはパン教室を検索しまくり、自分のライフスタイルに合ったABCクッキングに入会したくて堪らない状態になっていた。

 

息子が幼稚園の年少になってようやく自分の時間が持てた頃に念願叶って入会し、料理とパンのコースを契約。

 

ABCクッキングの正直な感想

料理コースについて

18歳から一人暮らしを始め、料理をもう30年近く作り続けてきた私にとっては正直お値段は高いと感じた。チケット制で24回分の料金を先払いするのだが、一回のレッスン料が材料費込みで約6,000円。先生によっては20代前半と若い方もいて、「経験に基づいて」というよりは「教科書通り」の教え方という印象。

だが、これまでなかなか出会えないようなレシピにたくさん出会えたし、どのレシピもものすごく美味しかった。

レッスンは一回5名までの少人数制でその日初めて会った人達と料理を作り、作った料理を一緒にいただくというスタイル。それが苦手という方も居るだろうが、私は毎回楽しませてもらった。

おせち料理やインドカレーなどは自分ではなかなか作る機会が無いので習って良かったと思う。

 

パンコースについて

パンは正直基礎コースを24回も習わなくてよかったかなと思う。

私が契約した時期は基礎は24回となっていたので仕方がなかったが、現在では基礎の回数はもう少し減っている。

生地作りと捏ね、成形を一通りマスターできたら、基礎的なレシピであれば作れるようになる。

シュトーレンや食パン、塩パンなど、独学では難しいパンは習って良かったし、ここで習ったパンはどれもむちゃくちゃ美味しかった。

マスターコースやリッシュコースと言って、もう少しレベルの高いパンが学べるコースがあるが、基礎24回を受講していないと進めないのが残念だと思った。

 

ケーキコースについて

ケーキは自分が趣味でやっていたこともあり、楽しかったが知っていることも多かった。材料は全て予め計って揃えてあり、それが楽だと言う意見もあるが、私は自分で揃えた方が勉強になると思う。

 

メニューによっては卵の卵黄しか使わないものがあり、その際余った卵白が捨てられるのがいたたまれない気持ちになる。SDGsを意識して紙のレシピがなくなりWEBで見られるようになったが、そこよりも余った材料を廃棄するところをなんとかして欲しいと思う。

ケーキコースのひと月のレッスンがシーズンメニュー(その月の限定メニュー)ばかりで他の受けたいメニューをなかなか受けることが出来ず、回数を消化しきれないと判断し半分をキャンセルした。

もちろん良いところもたくさんある。シュークリームやアイシングクッキー、フロランタンなど、自分では出来なかったお菓子が作れた時の感動は忘れられない。

 

勧誘について

ABCは最初にお友達の紹介で無料でレッスンを受けて入会するかどうかを決めるのだが、私のように最初から入会するつもりで体験レッスンを受けるのなら良いが、そうじゃない人にとっては体験レッスン後にあれこれと説明を聞き、勧誘されるのがストレスになる。それが分かっているから無料とは言え体験レッスンに友人を誘い辛い。

「絶対に入会しない」という強い意志のある方なら良いがそうで無ければ入会してしまうかも知れない。

 

ライセンスについて

ABCにはライセンス制度があり、コース毎に所定の回数を終了し試験にパスすればライセンスを取得出来る。言い換えるとそれはABCのレシピを使う事のできる権利。例えば自分で教室などを開いたときにABCのレシピを使う事ができる。

ただそれには15万という大金が必要なのだ。

 

私も料理コースを終了した時に勧誘された。ライセンスを取得すれば今後永久にABCのレシピをいつでも見ることができるとの事。ABCの料理のレシピは本当に魅力的で動画で流れも見ることができるのでいつでも美味しい料理が作れる!

とっても迷ったがやはり15万は痛い・・。結局取得することはなく終えてしまったが後悔はない。

 

先生について

私の通っていた教室の先生はどの先生も素敵だった。若くて少しおっちょこちょいなところもある先生がいたがそれが逆に可愛くて応援したくなるほど。

元気が良くてキラキラしている先生、完璧に授業をこなすベテラン先生、おっとりとして優しい先生などなど、本当に素敵な先生ばかり。

2時間を超える授業を1人で多いときは5人の生徒を相手に、一人一人がちゃんと回るように料理や材料の説明もしながらの采配はあっぱれだった。

パンやお菓子の時は発酵の時間やオーブンの予熱のタイミングなど一人一人違うのだが、完璧に把握されていた。ほんの少しの考え事もできないくらいの集中力だと思う。

 

長くなったが、私にとってABCクッキングはとても楽しい場所であり、素晴らしいレシピとの出会いもあった。自分のライフスタイルに合わせる事が出来たので少し高くても通って良かったと思う。

ただ、次に習うのであれば、パンならぜひ米粉パンを習ってみたいし、料理なら和食や薬膳料理など、その道を究めている先生に師事したいと思う。

ABCの「今日から先生になりました~」という雰囲気の20代そこそこの先生よりその道を究めたプロに習う方がお値段が安いのだから、ABCがいかに高いかが覗える。

 

少々高くても自分の都合に合わせて楽しく通いたい方には良い教室だと思う。

ABCクッキングに通ってみたいけど・・とお考えの方の参考にしていただければ幸いだ。

 

一筋縄ではいかない実家の片付け

この春休みも広島の実家へ3日ほど帰省した。

その目的は「片付け」。

昨年の春休みも片付けに奮闘したが、今年も頑張った。

昨年の様子を書いた記事はこちら。

 

www.kyocony.life

 

昨年の春は認知症の母に怒鳴られたりしながらの帰省だったので子ども達も随分と辛い思いをしたが、現在母は入院しているので断捨離に集中することができた。

 

あれから一年経ったが一行に片付けをした気配がない。

認知症の母が入院したのが今年の1月末。それまでは父も忙しかったので仕方が無いとは思うが、母が入院してからの2ヶ月間、何もしていないのは想定内だったとは言え、最後に帰省したお正月より前からある埋め立てゴミなどもそのまま放置してある。

 

どうして捨てられないのだろう・・?

 

今回はチャイルドシートやこたつ(2台)などの大型ゴミを捨てた。赤ちゃんもいないのにいつまでチャイルドシートをもっているつもり?と聞くと、「これはヒロシ(私の兄)の物だから聞いてみないと捨てられない」と。

 

もう50代の息子がいまさら子どもを作る訳もなく、そんなん聞くまでもないじゃろーと思うが、一応兄にメールで許可をもらって破棄することができた。

 

母がまだ元気な時に、何十年もの時があったのに、どうして何もしてくれなかったのだろう?

今でも私が帰省した時しか捨てに行ってくれない。自分一人で出来るはずなのに。

 

「なんで今まで何もしなかったん?」と聞くと

「誰もしてくれんかったけー」との返事。

 

いやいや、自分が買った物じゃろ???

捨てる前に次から次へ物を買い邪魔になったら物置へ放置。

その「ツケ」が全部私に回ってくるのってどう考えてもおかしい。

 

もちろん自分の物もある。洋服や本など。こたつなども私も使った物だから私にも責任がある。だが、全部放置されていて、それをこちらに丸投げされたのではたまったもんじゃない。

お弁当の領収書やハガキなどの郵便物も大量にあった。

名前や住所が記載されているものは捨てられないとのこと。

個人情報の部分を破って捨てればいいよ、と言ってもなかなかしぶとい。

こんなんわざわざテープではって復元する暇人がいると思う???

と言うと

そんな暇人がどうもいるらしい。

近所にゴミチェックする輩がいるらしく、ルール違反があったら注意されるらしい。

そんな時はゴミの中身も見られるらしいから、「じゃあシュレッダーにかければいいじゃない」 そう、実家には随分と前からシュレッダーがある。

 

どうも動きが悪くけかるのが億劫になっているとみた。そんな時は子ども達の出番!

少々動きが鈍いシュレッダーでも何のその。楽しくて仕方なく、次から次へと書類を持って来て~~とせがむほど。あっという間に書類の束も少なくなった。

 

もっと長く滞在してたくさんのゴミを捨てたいのだが、子ども達のスケジュールの兼ね合いもあり、たった3日の帰省であったが、随分と断捨離が進んだので今回は晴れやかな気持ちになれた。

 

さて次は夏休みかな。今度はトラックを準備してもらって引き続き大型ゴミの断捨離をするぞ~~~。

成功への道は一つではない!音楽家バイエルに学ぶ、夢をずらして叶える方法

子どもが生まれてからというもの、絵本をはじめ子ども向けの本をもう何冊読んだか知れない。

最近読んだもので面白い本があったので今日はその事について書かせていただく。

 

「バイエル」は実は音楽家の名前

これほどまでに名前を知られていて、実はよく知らない「バイエル」。

私も恥ずかしながらこの本を読むまでバイエルはピアノ教本の名前だと思っていた。

 

バイエルの次に習う「ツェルニー」や「ブルグミューラ」は子供心になんとなく人の名前だなと思っていたが、「バイエル」も同じで音楽家の名前。

 

「子供のバイエル」でおなじみのピアノを初めて習う人の為に作られた教科書「バイエルの教則本」はフェルナンド=バイエル(1803~1863)によって作られた。

 

実は私たちが知らないのも無理はなく、このバイエルに関する伝記も研究書も残されていない。なのでこちらの本は時代背景を元に作られたフィクション。

 

奇しくも偉大な音楽家と同時期に生きる

伝記と言えば、「ベートーベン」「モーツアルト」「ショパン」など、誰もが知っている顔ぶれが並ぶ。その類い希な才能を持っている音楽家の半生とは異なり、がむしゃらに音楽に向き合い、努力を重ねるが幾度も挫折を繰り返すそんな「バイエル」は私たちに近い存在なのではないか。

 

どんなに努力しても所詮天才に叶うはずがない。

と、自暴自棄になる場面がいくつもあった。

 

そこでくじけて音楽を投げ出してしまうのか?

 

貧乏な農夫の子で音楽しかやって来なかった彼には音楽しか残っていなかった。

とりあえず出来る事「ピアノを教える」ことを始める。

そこで、ピアノを初めて触る人にも分かりやすく、そしてゆっくりと上達のできる「教則本」の製作を余儀なくされた。

 

他と違う方向から「好きなこと」を追求

自分の努力が報われずどん底に落ちたときに発想の転換をするところが実に面白い。そして時代の変化も追い風となる。

工業技術の発達でこれまで上流階級の人達だけが楽しめたピアノを一般の人々も楽しむようになり、たくさんの音楽家が生徒を指導するようになる。そこで必要になってくるのがそう「教則本」というわけ。

 

今現在も「子供のバイエル」が存在し、その教則本を元にピアノをスタートする。

ベートーベンやモーツアルトと同じ土俵では戦えなかったが、時代を超えてたくさんの人を支え、愛され、必要とされている。音楽を愛し、その楽しさをどれだけたくさんの人に伝えたか知れない。

それは一人の天才が音楽を世に届けることと同様に価値のあること。

いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 

自分の夢に手が届かないかも・・そんな時はこのように少し発想を変えて別の何か出来る事を探ってみるのも夢に近づく方法の一つと気付かせてくれた。

 

 

 

見事な最終回に感動!朝ドラ「舞いあがれ!」

もう何年もNHKの連続テレビ小説を見ているが、今回の「舞い上がれ!」の最終回は本当に見事な終わり方だった。

 

てっきりパイロットになる物語と思いきや、どんどん違う方向に進み、子ども達の不満は爆発寸前。でも私は工場の「ネジ」を作る過程はドラマ的には地味だったが見応えはあった。

 

東大阪の町工場の衰退やお父ちゃんの夢、イワクラの存続など全ての問題を置き去りにして自分の夢だけを叶える物語ではなかった。

 

私はこの工場のシーンのときから子どもに言っていた。

「最後はきっと舞ちゃんは飛ぶよ。でも一人だけパイロットになる夢を叶えるんじゃなくて、お父ちゃんの夢もぜったいに叶うよ。舞ちゃんはイワクラのネジを載せた飛行機のパイロットになる!最終回はきっとそうなるよ!」

 

どこかで工場に見切りをつけてパイロットになるんじゃないか、どこかの航空会社からスカウトされるんじゃないかとか、どうにかパイロットになって欲しくていろいろと想像しながら観ていた。

 

私の最終回予想がジェット機ではなかったものの、ほぼ当たったので子ども達にどや顔した。

物語りの設定に長崎の五島が選ばれたのにも納得。

 

本当に人生には無駄が一つもないんだなぁとしみじみと思う、そんな終わり方だった。どんな大きな問題にも臆せず向き合い、悩み、道を見つける、そんな主人公の姿に私も勇気をもらった。そして皆が幸せになれる解決方法に導いてくれる。

 

これまでも自分が時間と労力を費やしてやって来たことが間違いだったのかもしれない・・と思う事があったし、これからもあるかも知れない。

でも決して無駄な時間ではないと思わせてくれるからなんだかホッとした。

だからいろんな事に挑戦したい。きっと無駄にはならないから。

 

空から見る五島列島の景色が何ともいえないくらい素晴らしく、新しい年度をスカッとした気持ちで迎えられそうだ。

 

 

【スタイリストの愛用品】シンプルこそが美しいNordgreenの腕時計②

先日私の愛用品であるNordgreenの腕時計「Unika」についてこちらで書かせてもらったが、今日はその続き。

 

www.kyocony.life

 

 

「Unika」が気に入りすぎて、もう一本別のモデルを迎えた。

 

 

デンマークのライフスタイルと共にあるデザイン

なぜそんなにデザインに惹かれてしまうのか、それは数々の受賞歴を誇るデンマーク人のプロダクトデザイナー、ヤコブ・ワグナー氏が時計全体のフォルムまで立体的にデザインしているところにある。

そして、このデザインは自分や家族との時間を大切にしているデンマーク人のライフスタイルを基調としているから、デジタルとは違うリラックスしたひとときを味わえるのも魅力の一つ。

 

シンプルで美しいデザイン、そして高品質でありながらお手頃価格なので2本目も無理なく迎えられる。

 

どれもこれも素敵だから選ぶのが大変!

でもその大変さも楽しみの一つ。

Unikaがレザーベルトだったので今度はメタル系がいいかな~。

Unikaの文字盤がものすごく気に入っているけど、別のモデルも素敵だなぁ。

と試行錯誤を重ねながらカスタマイズ。

前回も書いたが、Nordgreenは文字盤のモデルやストラップ、ケースカラーを自由にカスタマイズできる。ストラップがレザーよりもメタルがいいと思った時はお気に入りの文字盤にメタルを合わせればいい。

 

 

私が選んだ人気モデルの「Native」

 

アクセサリー感覚で付けられる腕時計にしたいとの思いから辿り着いたのが、「Native」というモデル。

文字盤は光りの加減で虹色に輝く「マザーオブパール」をチョイス。

 

これがうっとりするほど美しくてずっと眺めていたいほど。

 

シンプルな白シャツとベージュのパンツというスタイルにゴールドの腕時計が華やかさをプラスしてくれる。

 

私がチョイスしたNative ゴールドメッシュ、マザーオブパールはこちら

 

ゴールドメッシュのストラップはそのままに、マザーオブパールの文字盤を黒にするとゴロっと雰囲気が変る。

ハンサムな雰囲気たっぷりの黒はカッコ良くキメたい時にぜひ纏ってみたい。

 

あれこれと想像しながら選ぶ過程が楽しめるのもNordgreenの面白いところ。

 

新鮮なカラーに注目!2023年春夏の新作はこちら

この春注目すべきはこの文字盤の色!

オリーブとラベンダーという春の息吹を感じる新鮮なカラーにワクワクしてしまう。

 

シャツとデニムというカジュアルなスタイルや黒や白のワンカラーコーデのアクセントとして纏ってみたい。


他ではなかなか見る事のないこの2色。ストラップをレザーに変えるとまた表情が変るんだろうなぁ。

 

とあれこれと妄想して3本目を迎えたい衝動に駆られている。

 

 

 

 

 

【スタイリストの愛用品】シンプルこそが美しいNordgreenの腕時計①

以前の私にとって腕時計は必需品だった。

初めて腕時計を付けたのは高校生の時。スーパーで買い物をするともらえる「グリーンスタンプ」を集めて手に入れた腕時計は今でも忘れられない。

 

高校、短大、OLと続く人生の中で腕時計は必ず私の腕にあった。

 

そんな私だが、子どもが生まれてから腕時計を付けなくなった。

子どもの世話と家事がメインの生活になったので次第に付ける必要がなくなった。

 

気がつけば子どもはもう中学生と小学生。世話に手を焼く年じゃない。

 

10数年ぶりに腕時計を付けてみたい。そう思わせてくれた時計がある。

 

 

 

シンプルかつ存在感のあるデザインが魅力のNordgreen「Unika」




一目見た瞬間「なんて美しい・・」

と思わず言葉が出てしまうくらい。

ゴージャスさ溢れるキラキラとした美しさではなく、無駄のそぎ落とされたシンプルな美しさ。

 

これこそが大人の女性のさりげないお洒落。

 

 

腕に付けるとさらにその存在感のあるデザインを発揮し、少し青みがかったグレーのレザーがしなやかで女性らしい。

 

どんなコーデにもしっくりくるところもお気に入り。

価格も2万円台~3万円台のものが多く、高品質な上お手頃価格なのもポイント高い!

 

私のカスタマイズしたNordgreenのUnikaはこちら!

 

 

高いカスタマイズ性が魅力

Nordgreenでは自分好みに時計をカスタマイズ出来るのが嬉しいポイント。

 

 

文字盤やケースの色や大きさ、ストラップもメタルやレザーに変更出来る。

 

このようにストラップを黒に、ケースをシルバーにすると私が持っているグレーレザーのUnikaとは全く表情が変る。

 

すべてゴールドにするとこんなに大人っぽく変身。ゴージャスでありながらシンプルな腕時計を纏いたい大人の女性にピッタリ。



サスティナブルな取り組みにも注目

サスティナブルなパッケージ

Nordgreenでは挙げればきりがないくらいのサスティナブルな取り組みがなされている。

この美しい箱もその一つ。

ほぼ100%のリサイクル資材が利用されているとは思えないくらいのクオリティ。大切な人へのプレゼントにも最適。

 

環境に配慮した発送方法

カーボンニュートラルな輸送パートナーを利用。さらに数千本の木を植える取り組みによりオフィスからの炭素排出量をオフセットしている。

 

社会貢献にも繋がる

社会貢献プログラムによって教育、環境、健康の3つの慈善団体に時計の購入代金の一部を寄付することができる。

商品のシリアルナンバーの登録などの最低限の入力で参加できるのが我々世代にはありがたい。

 

 

大量生産、大量消費の時代は終焉を迎える。

未来を生きる子供たちのためにも私たち大人が持続可能な製品選びを心がけることはもちろん、お洒落を楽しみながらそれが出来るNordgreenの腕時計にますます注目が集まりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

当たり前に食べていた朝食を辞めてみたら・・

今日はせっかくなのでお題の「とらわれていた”しなきゃ”」について書かせていただく。

 

「食事は1日3度」にとらわれていませんか?

私、というより多くの方々が当たり前のようにやっていること「食べる事」

にとらわれていませんか?

当たり前過ぎてもはや「とらわれる」という感覚すらないと思う。

朝昼晩の3度キチンと食事をするのが生まれた時から当たり前に行なわれていて疑問にすら思ったことがない。

でもあまりお腹が減ってないのに昼食や夕食を食べた経験は誰しもあるのでは?

それは無意識に食事は3度食べるものだと思い込んでいるから。

 

特に朝ご飯は「早寝、早起き、朝ご飯」というフレーズで昔からよく子供の成長に欠かせない3大要素として当たり前のように耳に残っている。

 

 

朝食にパンを10年食べ続けたら・・

私は40を過ぎた頃から倦怠感を感じたり頭痛や眠気に襲われる事が度々あった。

子供がまだ幼稚園に通っていた頃で14時のお迎えに行く時間までになんとか頭痛を治さなくては、と焦っていたことを思い出す。

 

それが48歳の今ではその頃のような倦怠感がまるで無くなった。偏頭痛はたまにあるが、あのときのように寝込んでしまうことはもうゼロと言っていいほど。

 

なぜこんなに変ったのか、それはきっと朝食で食べていたパンを玄米とお味噌汁に変えたこと。

長女を出産してから約10年間、朝食はパンとヨーグルト。パンにはマーガリンと上白糖をまぶしてトーストするのが大好きで朝のお楽しみ。

 

いつか納豆ご飯に変えなければと思ってはいたものの、そのパンの魔力から抜け出せずずるずると10年も続いた。

 

その頃主人が乳製品をやめて体調が良くなり、私にもヨーグルトをやめてみたらと言ってきた。

大好きなルーティーンを変えるのが嫌ではあったが、とりあえずヨーグルトだけでも辞めてみようと早速実践。

すると思った以上に効果があった。

その流れに乗って一気にシュガートーストを納豆玄米&お味噌汁にガラッと変えたのだ。

その後の体調がどうなったのかはもはや言うまでも無い。

 

※これは、あくまでも個人の結果である。

食べて当たり前の「朝食」を辞める

そしてちょうどその頃に出会った「空腹こそ最強のクスリ」という本。

こちらは「16時間断食」の火付け役となった本で実践している方も多いと思う。

 

胃に送られた食べ物が小腸で吸収されるのに5~8時間以上かかり、さらに小腸で吸収できなかった水分を大腸で15時間かけて吸収する。本書では食事と食事の間を16時間空けることによって胃腸が休まり、さらに古くなった細胞が新しく生まれ変わる体の仕組みであるオートファジーが期待できるとのこと。

 

今まで40数年間 当たり前であり、人間にとって必要不可欠と思っていた「朝食」を思い切って辞めてみることにした。

本の中で推奨されている「ナッツ」は一握りほどいただいている。

 

体調は本当にすこぶる良い状態が続いている。ストレスを溜めたくないので昼食や夕食は好きな物を普通に食べている。

そして、週末は家族との時間を大切にしたいので一緒に朝食をいただく。

ゆるいルールでスタートしたが、それ故にもう2年ほど続いている。

 

朝食を採らないと他にもメリットがある。それは時間だ。朝食を準備する時間、食べる時間、片付ける時間、それが無くなって自分の時間が増える。

もちろん家族の朝食はちゃんと準備する。あくまでも私だけのこと。それでも思わぬ時間をもらった感じだ。

 

私にとってはメリットだらけの「ゆる16時間断食」。

これからもストレスを溜めない程度に続けていきたい。

 

 

 

ご先祖様を大切にするということ



結婚して20数年が経つが、お盆は必ず長崎の小さな島にお墓参りに行く。行かなかったのはコロナ禍であった2年前と3年前、そして長男を出産した後の3回くらい。

 

私の両親もそうだが、義理の両親と親戚の方々は本当にご先祖様を大切にする。

 

私もたまに実家に帰省した時にお墓参りに行く。いつ来ても掃除が行き届き、花が供えられている。

 

生花が供えられていると言うことは両親がしょっちゅう来て綺麗にしてくれているという事なんだな。

 

昨今「墓じまい」という言葉もよく聞くようになった。核家族化が進み子供が遠方へ行ってしまえばお墓を守っていくことも難しい。

 

先日親戚の法要があった際 久しぶりに義理の妹に会った。

流れでお墓の話になった時、

「自分の時は樹木葬にしようかな・・」と私。

それは自分が毎夏に長崎の島まで行くことがしんどいというのが正直なところで

自分達がやって来たことを子供達がやらなければいけないという事がきっと大変な気がしてそう言った。

 

するとこんな返事が返ってきた。

「ご先祖様を大切にするとご先祖様に守られている気がする。ちゃんとお墓参りに行っている人達と全く行かない人達。行く人達は家族が守られている、そう思わない?」

 

私はその言葉にぞわっとした。確かにそうだ。義両親は戦前戦後の生まれの方だからとにかく兄弟姉妹が多い。お墓参りに毎年来ている方もいれば、一度も会ったことがない人もいる。

お参りをしない人達はその後のよい噂をあまり聞かない。一方お墓参りをいつもしている人達は家族の絆も強く仲が良い。

 

そうだな。私はいつも自分の周りしか見えていないように思う。

「お墓参り」=「大変な事」

といつも後ろ向きに考えていた。

「お墓参り」はそんな私のちっぽけな心の中ではとうてい感じることの出来ない

もっと深くて広い「繋がり」や「慈しみ」が存在しているんだな。

義妹と話しているといつもその視野と心の広さに脱帽してしまう。

 

 

 

 

お弁当の魔法

 

お弁当を作ってもらったことはありますか?

 

私は中学と高校の6年間母に作ってもらった。

 

母の愛について

週末に親戚の法要が荘厳なお寺にて執り行われた。住職の唱えるお経に耳を傾け、身も心も引き締まっていくように感じた。

 

読経の後にある住職の説法。

 

毎回心が洗われるようなお話を聞くことができるのでありがたい。

 

今回は「母の愛」についてであった。

 

無償の愛とはよく聞くが、母から赤ちゃんへ与える「母乳」がその最たる物ではないだろうか。母乳は血液から作られる。自分の血液を惜しげも無く子供に与えている。

そこまで考えたこともなくその時は無我夢中でおっぱいを与えていたが、今考えるとそうなんだなと思う。

 

そして、母の作るお弁当にもそう感じるのではないか?

特に「にぎりめし」はどういうわけか最高においしい。

「にぎりめし」は言い換えれば「お結び」

作る人といただく人の心を繋げている、そんな話だった。

 

心で繋がる母が作ってくれたお弁当

お弁当には私にも思い当たるところが多くある。

 

母から作ってもらったお弁当は今でも鮮明に覚えているし、どれもとっても美味しかった。

朝早く起きて揚げ物をする。私には出来ないことだ。

冷凍食品をあまり使わず、手作りを心がけていた。

学校生活で一番の楽しみと言っても過言ではないほど、友達と机を並べておしゃべりしながらいただくお弁当はまた格別。

その作り手ともらい手を繋げるお弁当は何十年経ってもやはり心で繋がっている。

 

こちらで何度も書かせてもらったが、私の母は現在認知症でここ数年は暴言が耐えなかった。認知症になる前から私や父にひどいことを割と平気で言う性格ではあったが、ここ数年はさらにエスカレート。

その暴言を受けて電話口で過呼吸になるくらいに泣いてしまうここともしばしばあった。

 

そこで自分の気持ちを気丈に保ってくれるのが そう「お弁当」なのだ。

母に作ってもらったお弁当がいつも私を慰めてくれる。

美味しかったお弁当、丁寧に作ってくれたお弁当、友達にも好評だった鶏の唐揚げ、

など、いろんなお弁当が走馬灯のように私の記憶に溢れてくる。

 

そのお弁当のおかげで私はいつも母を好きでいられる。

 

私は今まさにその時の母である。

昨年の4月より娘が中学生になりお弁当を毎日作り始めてもうすぐで一年。

母のように朝から揚げ物は出来ないが、毎日いろいろアイディアを練り試行錯誤しながら作っている。

 

先生が時たまに生徒に親へ宛てた手紙を書かせる事がある。

その手紙には必ず「いつもお弁当をありがとう」と書いてある。

 

やはり「お弁当」は偉大だな。子供の心をわしづかみにする、そして何年経っても忘れさせない。どんな言葉よりも愛情よりも母と子供を繋げる「お弁当」には不思議な力があるように思えてならない。

 

 

 

小学4年生の息子のちょっといい話

今日は小学4年生の息子の事。

 

水曜日は歩いて10分程度のスポーツジムで16時10分からテニスを習っている。

6時間授業のため、いつも15時半を過ぎるギリギリの時間に帰ってくる。

10分ほどで支度をしておやつを口に頬張りながら出かけていく。

 

今日は15時45分になってもまだ帰ってこない。

ホームルームが長引いているのか・・。

そんな時は機嫌が悪いから私も気を遣う。

 

すぐに出かけられるようシューズやラケットなど準備万端にしておく。

 

15時50分になってようやく帰宅。

案の定不機嫌だ。

先生の話が長かったらしくブツブツと文句を言っている。

 

私は何か口に入れて行けば?とあれこれ提案するが素っ気ない。

 

チョコなら口に入れておけば到着する頃にはなくなっているだろう。

 

「このチョコにしなよ。キノコ、木の枝、葉っぱ、どれにする?」

「お茶を入れて、マスクも準備しておくね」

 

それでもまだ素っ気ないし、不機嫌だ。

 

そして振り向いたら何と泣いていた。

 

「ごめんね。ママが優しくしてくれているのにこっちはこんな態度で」

との言葉に驚いた。

 

只でさえ時間がなく慌てていて、プンプンと怒っているときにそんな風に私を思いやってくれるなんて。

小学4年生なら、イライラしている時にあれこれ言ってくる母親をうっとうしく思うのではないか?

そんな態度するんじゃなかったと後から気付くのはよくある話だが、イライラしながらもそれが悪いことと分かっていて私への申し訳のなさを同時に感じそして謝っている。

イライラしている時は誰しも自分のことで精一杯で、大人でもすぐに謝るってなかなか出来る事じゃない。

 

その時、今まで悩んでいた全ての答えが出たような気がした。

 

ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、

あ、私の人生、間違ってなかったんだなと。

 

こんな優しい子を授けてくれて感謝しかない。

私にはもったいないくらいだ。

 

 

 

 

無事に提出完了!初めての確定申告をe-Taxで。

今日から3月!

3月は自分の誕生日があるからか、12ある月の中でも一番好きな月。

そんな日差しが明るく、春の風がキリっと冷い さぞ気持ちの良さそうな日に2日連続で同じ服を着て髪もボサボサでコンタクトもせず眼鏡のままでずーーーーとパソコンへ向かっている。

 

そう「確定申告」だ。

 

何せ初めての確定申告。もう分からない事だらけであるが、こんな私でもクラウド会計ソフトのフリーを使ったら帳簿の作成と申告書の作成もできた!

これには正直驚いている。

じゃあ何にそんなに時間がかかっているのか、

それはズバリ電子申告。

 

マイナンバーカードを早々に作っていたので安心しきっていた(;。;)

 

フリーの申告書類を提出というフローがあるのでそれに従っていくと、最初の関門が申告用のアプリのダウンロード。もちろんダウンロード自体はすぐにできる。だが、「申告用書類が確認できません」となり、そこから先へ行けない。

 

気を取り直してフリーからe-Taxで申請しようと進めてみたが、「利用者識別番号」というのが必要とな。

取得の仕方を探して無事に取得できた!と喜んだのもつかの間、その番号を使うにはセットで暗証番号が必要となる。

 

え。。。暗証番号を設定した覚えなんてないよぉ。と、その時点で夜中の1時。

 

↑この画面に来て、暗証番号と秘密の質問を登録するらしいのだが、絶対にこの画面に到達してない。これは断言出来る。

秘密の質問を設定したらいくら夜中の1時でも覚えているはず。

 

そんなこんなで利用者識別番号は取得できたが、暗証番号が分からないというか設定してないのでこれ以上は進めない・・。

 

 

フリーで作成した決算書類を諦めて国税局のホームページから申告することにチャレンジ。ここでも利用者識別番号の暗証番号が必要だったらもう詰んだな。

 

確定申告書等作成コーナーから「作成開始」を選んでドキドキしながら言われるがままに入力。

フリーで作成した決算書類の数字を間違いの無いように入力していく。

 

利用者識別番号を問われることはあったが、暗証番号は聞かれなかった(フー)

肝心の源泉徴収を入れ忘れていて最後最後まで慌てましたが、何とか無事に送信完了できました!

 


まだ不安だったので国税局のホームページの受付システムのメッセージボックスを確認し、無事受付完了となっている事を確認。

 

あとは野となれ山となれ。とりあえず提出完了できたことが本当に嬉しい。

 

 

 

今日でようやく100記事となりました。

2月12日より17日連続でブログを書いた。

 

今まで散々放置していたけど、「日記募集」にエントリーしたことで自分の中の何か分からないが「縛り」のようなものがほどけ、ここ一年ずっと悩んでいた事を文字にしたらどんどん書きたい事があふれ出してきた。

 

ここに辿り着くまでは、高校の時の仲が良かった友達に私の悩みを手紙に書こうと思っていた。

彼女とはお互い20代の時の恋愛や仕事などが上手くいかず悩んでいた時に手紙でやりとりをしていた。

綺麗な便箋に丁寧な文字。そして誰よりも私の味方で居てくれた。

 

自分ではどうしようもないくらい辛い時、苦しい時は他の誰でもない彼女の顔が浮かぶ。

 

でも結局手紙を書かなかった。ここに書いているといつの間にかスッキリとしていたのかも知れない。

 

今日の投稿でようやく100投稿となる。

 

83記事でストップしていた私のブログ。せっかくだから毎日投稿を100記事まで続けてみよう。と頑張った17日間。

たった17日間ではあるが今まで出来なかったこと。

 

これからはポツポツ投稿となりそうだが、エッセイを書くことがこんなにも楽しいとは・・・読んで下さる方の役に立つかどうかは分からないが、読んで良かったと思っていただけるようこれからも精進したい。